Lake Air 0621 小話

砂の宴

1.
 朝の光が窓から差し込む。
東側に大きく窓が取られたこの部屋は、カーテンを閉めていなければ満足に眠ることすら出来ない。
(確か昨夜は、カーテンを閉めた筈なんだけど……)
まだ完全には動き出していない思考の片隅でそう考えた。
まぁ、良いや。
「――ん……っ」
一つ伸びをする。目を擦りながらベッドの上に上体を起こすと―
「よぅ。起きたか」
よく見知った顔がベッドの脇から僕を覗き込んでいた。
「あれ?……って、何でオデルさんがこんなところに居るんですか!?」
「おい、声がデカいぞ……」
まだ寝ている客だって居るんだからと困ったように顔をしかめているのはオデルさん――"灰色羽の"オデルと名乗るフェザーフォルク(有翼人)の男だった。
フェザーフォルクはエルフやドワーフ、グラスランナーやマーマン達と同じく、妖精と呼ばれる者達の一つだ。
妖精達は皆、神話の時代に妖精界からやって来て、元の世界へ帰る術を失った者達の子孫だと言われており、僕達人間とは少しばかり違う。
フェザーフォルクもまた、体格的には人間とさほど変わらないが、彼等は皆、背に鳥のものとよく似た一対の大きな翼を持ち、その背を用いて空を飛ぶ術を心得ている。
僕の目の前に居るオデルさんもまた、彼自身がそう名乗っているように薄らと灰色みを帯びた翼を一対、背に負っていた。
「――で……」
僕は言葉を続ける。
「何で鍵を掛けて置いた筈の僕の部屋に、オデルさんが入っているんですか!?」
「ああ、クラウディアだったか?
ココの宿の娘に事情を話して鍵を貸してもらった」
「へ?理由って?」
矢継ぎばやに色々言われて、何が何だかわからなくなった。
「出かけるって、何処へですか?」
「行きゃ解る。悪ぃようにゃしねぇさ」
言って片方の口の端をにぃっと釣り上げた。
普段、あまり他人に心を許そうとはしない彼は人前で笑みを浮かべることなど滅多に無い。
「……分かりました」
少し考えてから僕は答えた。
「あ、ちょっと出てもらえますか?着替えるんで」
「別に男同士、気にすることも無ぇだろうに。ま、分かったけどよ。
そうそう。旅はニ、三日かかる」
言ってオデルさんは部屋を出た。
僕は服を着替え終えてから、旅に必要な物をザックの中に詰め始めた。
「えーと……洗面用具と替えの下着と、後は……」
そうそう。僕自身の紹介が未だだった。
僕はヤトラン・バシュトゥルク。
実家はこのザインから遠く北東にある国、バイカルの港町の一つ、アルマで貿易商を営んでいる。
僕は長男に当たるのだけれども、家族は生来体が弱く幼い頃から病気がちだった僕ではなく、4つ年の離れた姉のスネジャナが家業を継ぐことを望んでいる。
今、僕はエレミアでの療養を終え故郷であるアルマの町に帰る道のりの途中だ。
このザインへは商人としての見聞を広めるために旅立ったという姐さんやオデルさんに会うためにやって来た。
今はずっと発作も無い。
何よりこの宿、ペリーニ・インをを経営するクラウディアさん達ペリーニ一家をはじめ、この街で出会う人たちは皆、僕に親切にしてくれる。
この湖岸の街で、僕は楽しい毎日を送っている。
「早くしろ。そろそろ馬車が来るぞ」
ドア越しにオデルさんが急かす声が聞こえた。
「あ、はーい、今行きます」

2.
 空は彼方までも青く澄んでいた。
その青一面のところどころに、紡ぎ損ねた綿くずのような細長い雲がたなびいている。
つい数日前まで、天の底が抜けたかのような大雨が降り続いていたことなど嘘のような天気だった。
 僕らは大通りに面した乗合馬車の乗り場まで急いだ。
乗り場の近くでオデルさんは2枚の切符を取り出し、片方を僕にくれた。
「あれ?この馬車の行き先って……」
「ああ。エレミアだ」
僕が今まで過ごしていた町だった。
「ねぇ、オデルさん」
「何だ?」
「エレミアに何があるんですか?」
「だから着いてからのお楽しみだって、さっきも言ったろ?」
馬車の乗客は僕らで最後だったらしい。
僕等が乗り込んだ後、御者台に座る御者さんが馬にムチを当てる。
馬車が動き始めた。
 馬車が走り始めてから大分時間が過ぎた。
窓の外には荒涼とした景色が遠くまで広がっていた。
このあたりは100年ほど前までは中原と呼ばれ、このアレクラスト大陸でもっとも豊かで栄えた土地だったという。
それが今、こうして見る影も無いほどに荒れ果てた荒野へと変わってしまったのは『アトンの厄災』と呼ばれる天変地異の所為だった。
アトン―それは古代の魔法王国、カストゥールが意図せずに生み出した悪夢の遺産。
都市を空中に浮かばせ、ドラゴンすらも支配下に置き栄華を極めた魔術師達の王国を滅ぼす元凶となった畸形の精霊……前に読んだ本にはこんな事が書いてあったっけ。
 100年前、無の砂漠から抜け出たアトンはその後、この中原を荒野に変えて―消えたのだった。
アトンがその後どうなったのか、何より何故突如消えたのかは誰も知らない。
そう言えばこの前会った旅の人、学者さんだって言ってたけど、アトンはまだ生きていて、どこかに潜んで力を蓄えているだけに過ぎない、って言ってたなぁ……。
「ヤトラン、具合でも悪いのか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
「そうか……」
ふと気付くと、オデルさんが心配そうに僕の方を覗き込んでいた。
どうやら勘違いをさせてしまったようだ。
 その後馬車は途中で何度か休憩を挟みながら荒野を進み、エレミアに着いたのは出発してから二日目のことだった。
このエレミアもかつては職人の町として栄えていたというけれど、今は頑丈な城壁とブドウやオリーブの畑に囲まれた小さな町のところどころに、その反映の日の面影を僅かに偲ばせるだけだ。
 宿での夕食のとき、僕はもう一度、今回の旅の理由を聞いた。 
けれどもやっぱりオデルさんは僕に教える心算など無いらしく、ただ一言言うだけだった。
「もうじきだ。もうじき解る」
心なしか、何時もよりそわそわしているように見えた。
 翌日、僕達は宿を出て、荒野の中を歩いた。
大雨の後だったこともあって、いつもはカラカラに乾いている地面の至る所から萌黄色の草が伸び出していた。
僕等は柔らかな草の生い茂る草原の上を一日歩いた。
「じいさんの話が合ってれば……この辺りだな」
そう言ってオデルさんが立ち止まったのは陽も落ちかけた頃のことだった。
「じいさんって?」
「俺の育ての親だ」
「へぇ……で、そのおじいさん、何て言ってたんです?」
「この辺りで面白れぇモンが見れるんだと、何遍も言ってたんだ」
「面白いモノ……かぁ……」
何だろうか。
やがて陽は完全に落ちた。
闇の中に、僕等が焚いた火だけがぽっかりと浮かび上がる。
「疲れたぁ……」
「少し休め。時間になったら起こす」
「うん……お休みなさい」
僕が眠りの底に落ちてゆくまでには然程の時間は要さなかった。

3.
「――ヤトラン、おい、ヤトラン」
「んん……っ?」
「起きろ」
僕はオデルさんの囁く様に小さな声で起こされた。
「上、見てみろ」
言われるまま、僕は眠い目を擦りながら夜空を見上げる。
そこには――
「え?何、これ……」
 月明かりの下、幾百、幾千ものエルフによく似た人達が闇の中に舞っていた。
とがった耳や中性的な顔立ちはエルフのそれとよく似ていた。
けれども皆、エルフには無い昆虫のものを思わせる薄い翅を背中につけている。
前に本で読んだ"フェアリー"と呼ばれる妖精達のようにも思える。
エルフの女性によく似た姿をした彼女達もまた、背に一対の透き通った翅を持っていると書かれていた。
でも彼らはそのフェアリーともどこか違うような気がした。
本当に彼らがフェアリーならば女性だけの筈だ。
けれども目の前の彼らの中には明らかに男性の姿をした者も沢山居た。
それに何より、その本にはフェアリーは僕達が居る物質界には殆ど居ないといったことが書かれていたのだった。
それならばこんなに、一つの場所に幾百、幾千もの数で飛んでいるワケが無い。
「――大蜉蝣だ」
横でオデルさんが囁いた。
「え?」
「大蟻地獄(ジャイアント・アントライオン)の成虫だ。
長い地中での生活を終えて出てきたんだ。
俺の死んだじいさん、事あるごとに何遍もコイツ等の話をしてたんだ」
「長いって、どのくらい、ですか?」
「さぁな。俺は学者じゃないんで詳しいことは知らねぇな」
地上の僕達など気にも留める様子など無く、大蜉蝣達は青白い月光に照らされる草原の上を乱舞する。
彼等が身を翻すたびに、その色の薄い髪や透き通った翅が月の光を受けてキラキラと輝く。
「精霊語、通じるでしょうか?」
「いんや。じいさんの言葉が本当なら、俺達が使うどの言葉も通じねぇんだと」
「そうですか。残念だなぁ……」
「良いじゃねぇか。別によ。
こうしてあいつ等が踊ってるのを下で見てるだけでも」
「そうですね。邪魔するのも何だか悪いですしね」
その後、一晩中群舞を続けていた大蜉蝣達は東の空が白み始めると、蜘蛛の子を散らすようにして何処かへ姿を消していった。
「何処に行くんだろう」
「行くんじゃない。奴等は生まれた大地へ帰って行くんだ」
「え?」
「大蜉蝣の成虫は寿命が短くてな。
地上に出てから数日と経たねぇうちに命が尽きちまうんだ」
「そんな―」
「けどよ……あいつ等の踊ってる様、お前も見ただろ?
あいつ等はこれで幸せなんだ。きっとな。
大事なのは時間の長さじゃなくて、時間の質なんだよ」
「時間の長さより……時間の質?」
「ああ……って、此れもじいさんからの受け売りだ。
俺だってまだ解ったワケじゃねぇ。
……もう少し先のことだろうなぁ。お前が解るのも」
そう言ってオデルさんは僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「さぁ、帰るぞ」
「……はいっ!」
町へ帰る途中、僕は何度も後ろを振り返った。
けれどももう、大蜉蝣達の姿はどこにも見当たらなかった。
 エレミアの町に着いたとき、今までの疲れがどっと出てきた。
宿に帰った僕達は、それから次の朝、陽が傾きかけるまで死んだように眠り続けた。

4.
明くる日の朝、僕達はザインへ向かう乗合馬車に乗った。
二日間の道のりの間、僕もオデルさんもずっと押し黙っていた。
荒野はザインに近づくにつれて、徐々に緑多く豊かな土地へと変わっていった。
何だかひどくほっとした僕はいつの間にか眠ってしまったらしい。
どのくらい眠っていたのだろう。
ゴーン、ゴーンと大きな鐘の音が聞こえる。
「ヤトラン、起きろ。着いたぞ」
「着いたって……何処にですかぁ?」
オデルさんの少し掠れた声に起こされて、目を擦りながら聞き返す。
「何寝惚けてんだ?ザインに着いたんだよ」
言いながら目の前のフェザーフォルクの男は、呆れ顔で僕を小突いた。
「ホラ、降りるぞ」
荷物を持って馬車から降りる。
疲れの所為か、足がふらつく。
「おい、大丈夫か!?」
「平気です。ちょっと疲れただけですから」
心配そうな顔のオデルさんに僕は笑いかけながら答えた。
「そうか。宿に帰ったらゆっくり休むと良い。
……悪かったな。急に連れ出したりして」
科白の後半は小さな声だったからはっきりとは聞こえなかったけれども確かにそう言っていた。
そんなことないですよ、と恥ずかしそうにバツが悪そうにそっぽを向くオデルさんに僕は応じる。
歩きなれた大通りの石畳を、僕達は歩き始めた。


(了)


登場人物:
ヤトラン・バシュトゥルク(人間、男、14歳)
"灰色羽の"オデル(フェザーフォルク、男、56歳)




懲罰房(あとがき):

長い時間を砂の中に埋もれて過ごすアントライオン達は百年に一度、
砂漠に緑が蘇ったときに一斉に羽化し、
その生涯の最後の数日を美しく儚い姿で踊り過ごす……
今は亡き育ての親からその話を聞いたオデルがヤトラン君と共に一路、
エレミアまで向かう……という話です。

しっかし……試験前ってこう……筆がつるつる進むんですねぇ。
不思議不思議♪(←駄目人間
とはいえ、文章があちこちへちょいコトになってるのは変わりありませんが(ぉ
何か、"ヤマ無し、オチ無し、イミ無し"な話になっているような気もしないでもない……(滝汗

ともあれ、この拙い文章をここまで読んで下さった皆様方、
ならびにヤトラン君を貸してくださったコルチョネーロス様に篤く御礼申し上げますm( _ _ )m

それでは、またの機会にごきげんよう~♪

オデルがスネジャナさん達と出会った頃の話も書かなきゃ……
あと、他の連中の話も書かなきゃ~。

2003年、9月25日丑三つ時
某監獄の懲罰房、アイアンメイデンの『ヴァレリーちゃん』内部にて(嘘

柊 蘇芳


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